久し振りな上に年明け早々ヘビイな話でごめんなさい。
2005年1月3日 家族・子育てまたまたしばらく振りです(苦笑)
本年も(いつ更新するのか全く予想がつかないけれど)よろしく。
・・・・・・・・・・・
さてさて期間が空いていたので恒例の(苦笑)近況報告で・・。
仕事は行っております。先月12月はどこのホテル業界も暇らしくほとんどお休みで、結局、大晦日31日〜年明け7日までは連チャン出勤ー。そのあとはボチボチってとこですか。
うちは結婚してからと言うもの、毎年年越し〜年明けは夫の実家で過ごすのが恒例で・・ってか、まぁそうしないとダメな感じなので渋々泊まりに行ってます。もう子供は傍に常時付いていなくても平気だし、そうなると他にやることのない夫の実家で過ごすのが苦痛で仕方がないんで、返って仕事に出るのは好都合(笑)
ただし、夫の身内は誰一人正月から仕事をするような職業ではないので、内心どう思ってるんだか(ハハハ・・)
仕事も頼りになる人が辞めたり色々で、何かキリの良い時を見計らって次に行こうかと思うけど、まぁとりあえずはこのままで・・。特に仕事が嫌な訳じゃないしなぁ。
ただ、自分の身体を追い詰めるような家庭と仕事の両立はもうしたくないんでそうなるような感じになってきたら潮時ですな。
我ながらよく頑張ったよ。
まだダメージは完全に回復してないし。12月は暇で本当に良かった。
えーと、ぶっちゃけ流産しました。まだひと月は経ってないか・・正確にいうと。
当初は「無理しすぎたからや!」とか色々自分を責めましたが、その後検査で胎児の方に「胞状奇体(態?)」という異常(腫瘍)が胎盤にあったらしく、結局どうあっても駄目だったようで、それがまた更に打ちのめされるしでまだまだ精神的な回復にはしばらく時間がかかりそう・・です。
いやまぁとりあえず2日目からはもういつも通りで、その後日常生活も特に普通なんだけど。
でも
流れた時の事を思い出すと何とも言えない気持ちで一杯で。
まだ病院へは行って無かったんで、最後の確認する時になって
「ほんとうに(お腹に)居ててんなぁ」
という実感が。でも正直直視する事は出来なかった。ごめん。
そしてその子がその後、そういう風になってたんだと聞いて本当にかわいそうで申し訳ない。
・・異常は原因不明だから避けようもないんだけど。
・・・・・・・・・・
けど、こういう事になって夫もだいぶ協力的になりました。
私が追い詰めた所の一つに夫が「自分で決めた事やろ?(だから仕事と家事と育児はやれてあたり前)」という態度を感じていたので
(実際後からそう言っていた)一人で何もかも背負ってたし、その日もかなり調子が悪かったけど無理を押して家事仕事をやってた末の結果が最悪の結末を迎える事になったんで・・。
息子も、こういう事になって以外にも彼の成長を見る事が出来ました。
突然の救急車や、薄暗い病院の中で待ってたりで心細かっただろうに、逆にボロボロな私を一生懸命に慰めてくれるし、
でも彼だって何にも思って無かった訳では無いと解ったのは3日目の夜でした。ご飯も保育所も普通に過ごしてたけれど寝る時になって急に私の胸元で泣き出して、初めて「この子もつらい思いをしてたんだ、心配してくれてたんだ」と気付いて驚いたし嬉しかった。「自分より他人の事」って保育所ではよく先生から注意点として聞かせれていたけれどちゃんと成長してたんだなあ。
哀しかったけれど、夫、子供との絆が深まったと思います。
そうなってからでないと来にくいよねこっちには。
あなたには色々教えられる事があったよ、ありがとう。
またいつか会おうね。
・・・・・・・・・・・
哀しい思いをされた方の中にはもっともっとつらい体験をされた方が沢山いらっしゃると思うけれど、その悲しみはそれを体験した人でしか解らない思いだと、今回の事でかなり痛感しました。
日記に書く事、どうしようかと思いましたが自分自身少しでも整理がつければ・・・と思って記してるのでもし反感を覚えるような文章があればごめんなさい。けれど、同意が欲しい訳でもないです。
身体は、実はそういう事もあって様子見状態。けど大丈夫だろうという事だけれど基礎体温をつける事をいわれてやっています。
そんなこんなで昨年は色々ありましたが、今年は少しでも福が訪れますように・・。
本年も(いつ更新するのか全く予想がつかないけれど)よろしく。
・・・・・・・・・・・
さてさて期間が空いていたので恒例の(苦笑)近況報告で・・。
仕事は行っております。先月12月はどこのホテル業界も暇らしくほとんどお休みで、結局、大晦日31日〜年明け7日までは連チャン出勤ー。そのあとはボチボチってとこですか。
うちは結婚してからと言うもの、毎年年越し〜年明けは夫の実家で過ごすのが恒例で・・ってか、まぁそうしないとダメな感じなので渋々泊まりに行ってます。もう子供は傍に常時付いていなくても平気だし、そうなると他にやることのない夫の実家で過ごすのが苦痛で仕方がないんで、返って仕事に出るのは好都合(笑)
ただし、夫の身内は誰一人正月から仕事をするような職業ではないので、内心どう思ってるんだか(ハハハ・・)
仕事も頼りになる人が辞めたり色々で、何かキリの良い時を見計らって次に行こうかと思うけど、まぁとりあえずはこのままで・・。特に仕事が嫌な訳じゃないしなぁ。
ただ、自分の身体を追い詰めるような家庭と仕事の両立はもうしたくないんでそうなるような感じになってきたら潮時ですな。
我ながらよく頑張ったよ。
まだダメージは完全に回復してないし。12月は暇で本当に良かった。
えーと、ぶっちゃけ流産しました。まだひと月は経ってないか・・正確にいうと。
当初は「無理しすぎたからや!」とか色々自分を責めましたが、その後検査で胎児の方に「胞状奇体(態?)」という異常(腫瘍)が胎盤にあったらしく、結局どうあっても駄目だったようで、それがまた更に打ちのめされるしでまだまだ精神的な回復にはしばらく時間がかかりそう・・です。
いやまぁとりあえず2日目からはもういつも通りで、その後日常生活も特に普通なんだけど。
でも
流れた時の事を思い出すと何とも言えない気持ちで一杯で。
まだ病院へは行って無かったんで、最後の確認する時になって
「ほんとうに(お腹に)居ててんなぁ」
という実感が。でも正直直視する事は出来なかった。ごめん。
そしてその子がその後、そういう風になってたんだと聞いて本当にかわいそうで申し訳ない。
・・異常は原因不明だから避けようもないんだけど。
・・・・・・・・・・
けど、こういう事になって夫もだいぶ協力的になりました。
私が追い詰めた所の一つに夫が「自分で決めた事やろ?(だから仕事と家事と育児はやれてあたり前)」という態度を感じていたので
(実際後からそう言っていた)一人で何もかも背負ってたし、その日もかなり調子が悪かったけど無理を押して家事仕事をやってた末の結果が最悪の結末を迎える事になったんで・・。
息子も、こういう事になって以外にも彼の成長を見る事が出来ました。
突然の救急車や、薄暗い病院の中で待ってたりで心細かっただろうに、逆にボロボロな私を一生懸命に慰めてくれるし、
でも彼だって何にも思って無かった訳では無いと解ったのは3日目の夜でした。ご飯も保育所も普通に過ごしてたけれど寝る時になって急に私の胸元で泣き出して、初めて「この子もつらい思いをしてたんだ、心配してくれてたんだ」と気付いて驚いたし嬉しかった。「自分より他人の事」って保育所ではよく先生から注意点として聞かせれていたけれどちゃんと成長してたんだなあ。
哀しかったけれど、夫、子供との絆が深まったと思います。
そうなってからでないと来にくいよねこっちには。
あなたには色々教えられる事があったよ、ありがとう。
またいつか会おうね。
・・・・・・・・・・・
哀しい思いをされた方の中にはもっともっとつらい体験をされた方が沢山いらっしゃると思うけれど、その悲しみはそれを体験した人でしか解らない思いだと、今回の事でかなり痛感しました。
日記に書く事、どうしようかと思いましたが自分自身少しでも整理がつければ・・・と思って記してるのでもし反感を覚えるような文章があればごめんなさい。けれど、同意が欲しい訳でもないです。
身体は、実はそういう事もあって様子見状態。けど大丈夫だろうという事だけれど基礎体温をつける事をいわれてやっています。
そんなこんなで昨年は色々ありましたが、今年は少しでも福が訪れますように・・。
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